ひらくラジオ④「ぶっちゃけ、アートコミュニケーションってなに?(後半)」ゲスト:伊藤達矢さん

SCARTSアートコミュニケーター「ひらく」1期生 卒業(仮)展

札幌文化芸術交流センター SCARTS(札幌市民交流プラザ1-2階)
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2022 02/26

2022 02/28

UP:2023/01/11

札幌文化芸術交流センター SCARTSでは「SCARTSアートコミュニケーター」というチームを結成し、世代や職業を超えたさまざまなメンバーが、市民とアートのつなぎ手として活動しています。2022年3月に1期生が任期を終えることを機に、[アートコミュニケーター「ひらく」1期生卒業(仮)展]を開催し、「ひらくラジオ」と題して、3本のトークを実施し、YouTubeでも配信しました。講師として関わってくださった方々をゲストに招き、SCARTSアートコミュニケーション事業を担当してきた齋藤がインタビュアーとなり、卒業までの活動を振り返るとともに、文化事業に市民が参加する意義などについて語っていただきました。

 

ひらくラジオ④「ぶっちゃけ、アートコミュニケーションってなに?(後半)」

P1 油絵から美術教育にシフトした理由
P2 「実践者」としてプロジェクトと向かい合う
P3 社会の中に必要な領域や環境を作るということ
P4 文化施設や文化事業には対話の構造が必要

・出演:伊藤達矢さん(東京藝術大学 社会連携センター 特任准教授)
・聞き手:齋藤雅之(SCARTSアートコミュニケーション事業担当(当時)、(公財)札幌市芸術文化財団所属)
・ライブ配信日:2022年2月27日(日)17:00〜19:00


油絵から美術教育にシフトした理由

 

齋藤|ここからは引き続き、伊藤達矢先生といろいろとお話をしていきたいと思います。改めて伊藤先生のご紹介をしますと、現在は東京藝術大学の社会連携センター特任准教授を務め、美術館の教育普及活動や社会連携事業に取り組んでいらっしゃいます。例えば、東京都美術館と東京藝術大学による「とびらプロジェクト」や、上野公園に集まる9つの文化施設が連携する「Museum Start あいうえの」などを手がけていらっしゃいますね。

 

伊藤|そうですね。

 

齋藤|少し個人的なお話しなのですが、実は僕が伊藤先生とお会いするのは、この「ひらく」の事業がはじめてではなく、20年ぐらい前にお会いしているんです。

 

伊藤|僕はまだ大学院博士課程とかだったかな。

 

齋藤|僕が大学1年生のときに、茨城県の取手市で開催された「取手アートプロジェクト(※1)」に関わることになりまして。そこで伊藤先生は事務局で中心的な役割をされていたんです。それが2003年の話で、今年は2022年なのでだいたい20年前ですよね。「取手アートプロジェクト」は先駆的な事例ですが、現在の「とびらプロジェクト」に至るまで、20年間にわたって市民参加型のプロジェクトに関わっている訳ですよね。

 

伊藤|個人的なバックグラウンドを話すと、僕は東京藝大の油絵科に入学して、大学院の博士課程で美術教育の研究室に所属しました。そのときに「取手アートプロジェクト」の事務局のようなことをやっていたんですが、実は油絵科で作品を作っていたときの延長のような感覚でした。

 

齋藤|でも東京藝大の油絵科って、ものすごく絵が上手いわけじゃないですか。全国から集まる人たちとの競争を勝ち抜いたわけですよね。やっぱり、「作家にならないんですか?」というのは、普通に思うんですけど。

 

伊藤|本当に自分の話ですけど、僕は最初、美術教師を目指していたんです。好きな美術の先生になれたらとても幸せだろうなと思って、免許が取れる大学への進学を考えた中で藝大という選択肢もあったという感じですね。

 

齋藤|なるほど。

 

伊藤|だから、本当にアーティストになりたい、一生をかけてやっていきたいという人たちとちゃんと向かい合ったのは大学に入ってからです。彼らと一緒に作品を作る中で、やっぱり鑑賞者なしに作品は成立しないものだと痛感するようになりました。もちろん藝大受験の時にもたくさん絵を描きますが、そこで描いているのは、「設問に対する回答」なんですよね。いろいろな鑑賞者がいるということを想定していないんです。鑑賞者がいるということが前提になると、見てくれる人、いろんな背景がある人たちのことを考えます。美術なんか全然知らないという人、音楽の方が好きという人、絵は好きだけど彫刻は……というように、さまざまな人たちに見てもらうことが大事で、作品は自分とその人たちを結ぶある種の手段だと思ったんですよ。

 

齋藤|鑑賞者」という存在を強く意識するようになったんですね。

 

伊藤|そうですね。そのあと、90年代後半に始まったアートプロジェクトでたまたま運営をやることになって、運営側とアーティストを分ける必要はないんだなと思いました。自分がつくりたいものを作るということであれば、アートプロジェクトであっても、作品をつくる気持ちの延長線上にあると考えるようになり、だんだんそっちが仕事になっていったという感じです。もちろんプロジェクトは僕一人でつくるものではないので、そこにサインをして自分の作品だとは言えませんが、そもそも「作品かどうか」ということにもあまりこだわらなくなってきました。背景の違う人たちとの関係性をつくるときに、必ずしも作品というかたちではなくてもいい、そう思いながら現在に至るという感じです。

 

(2ページ目「「実践者」としてプロジェクトと向かい合う」に続く)


(※1)1999年スタートの、市民・取手市・東京芸術大学による3者共同アートプロジェクト。

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