映画『トニー滝谷』を鑑賞して
トニー滝谷
UP:2021/03/19
自粛生活が定着した今、収集した映画の宣伝紙面などを整理すると無心になれて落ち着いた。ある日、気になる物を見つけ作業の手が止まった。それは小説家・村上春樹の作品『レキシントンの幽霊』に所収されている短編小説『トニー滝谷』を、2005年に市川準監督が映画化した時の1枚のポストカード。とっさに棚から原作本とサウンドトラックを探し出し、じっくり読んで聴き直し改めて映画を観直してみた。ずっと忘れていた作品に不意に呼ばれたようで不思議な感覚だった。
主人公のトニー滝谷は戦後間もない頃に日本人の両親から誕生した。絵を描くことに夢中になる少年で美大に進学し、後にイラストレーターとして活躍する。主人公とその父親をイッセー尾形が一人二役で演じている。生後間もなく母が他界、トニーは結婚するが蜜月も束の間、妻もあっけなくこの世を去る。孤独が付きまとう男だ。普通、孤独と聞くと負のイメージだが彼にはその印象がまるでない。目の前の状況をただ受け入れ、感情を過度に表現せず、むしろ淡々とした姿勢に好感さえ覚えた。
なぜ名前がトニーなのか、ここでは端折ることにする。なぜなら、彼の妻に光を当てたかったからだ。卒なく主婦業をこなす彼女は病的なまでに高価な洋服を買い漁る癖を持っていた。そのことが引き金となり、あの世へ逝ってしまうのだが、この話のくだりもあえて省く。監督が独自の感性を吹き込みながら限りなく原作に忠実に創り出した75分間の美しいシーンと坂本龍一が弾く耽美なピアノの音色の世界観に妻を演じる女優・宮沢りえが見事に溶け込んでいた。それにはイッセー尾形のさりげない風のような演技力、落ち着き漂うナレーションと脇を固める実力派俳優あってこそだ。
トニーの妻がいる景色は絵画的な構図で実に美しい。まるでデンマークを代表する画家、ヴィルヘルム・ハマスホイ作『ピアノを弾く妻イーダのいる室内』のように詩的で静寂な絵画を観ているようだった。
映画「トニー滝谷」(2005年公開)
製作:ウィルコ
出演:イッセ-尾形 宮沢りえ 西島秀俊(ナレーション)
脚本・監督:市川準
音楽:坂本龍一
村上春樹著「トニー滝谷」(文藝春秋社刊レキシントンの幽霊」所有) より
現在、国内(amazon,U-NEST他)及び海外で配信中
©2005 WILCO Co., Ltd.