【ひらくインタビュー】納谷真大さん(俳優・演出家・劇作家・ELEVEN NINES代表)
インタビュー
2021 10/02
UP:2022/03/31
左脳派から右脳派へシフト!?
田中:納谷さんは軽さと深み、動と静などのバランスがとてもいいですよね。また、相手が求めていることを瞬時に察する動物的な鋭い勘が備わっているように見受けられますが、いかがでしょうか。
納谷:動物的な勘というか、それは意図的にそうしてきたと思います。僕、地頭は少し良いと自分で思っていて(笑)、大学受験も要領の良さで乗り切ったりもしました。ただ、それは別にいいことでも悪いことでもなくそういう事実だというだけです。今の社会の中ではきっと頭のいいほうが社会的に就職も含めてラッキーなんだろうなと思いましたし、日本は、1992年以降、ずっと就職難が続いてるんですけど、僕らが卒業する時は最後の売手市場なんです。それでも僕は就職せずに富良野塾に行くわけですが、その頭の良さが仇になるってことをお芝居を始めて思うわけですよ。全部知的に考えるというか「こうすればこうなる」など理論的に考えてしまうので、最初の頃は芝居にその癖が出るのを倉本聰先生によく怒られていました。
僕の人生の目的は上手い俳優ではなく、いい俳優になることなので、そのためには左脳ではなく右脳を使う人生にせねばならないと思い、知的脳は特定の時以外は使わないと意識してシフトしていきました。そうすると動物的な勘が発達していくわけですよね。そういう意味では好奇心旺盛で勘みたいなもので生きている感じは普通の人より強いと思います。
田中:例えば、エモーショナルなこと、ロジカルでは解決できないようなことに遭遇した時って、どういうふうに解決されるのですか?
納谷:解決するというよりは経験として蓄積させる、という感じでしょうか。理屈ではまらないことがあった時が一番ワクワクしますよね。さっき言ったように僕はいい俳優になりたいと思って生きているので、そういう困難に直面したとしても「またこれで俺はいい俳優になるチャンスをもらった!」と思いますよ。僕、3年前に父親が死んで看取った時も、悲しみと同時にこれでまた一つ何かを獲得したと思いました。どうしようもないことが起こった時にまた僕のレンジが広がるとほんとに思ってます。そうすると辛いことには変わりないけど大体ポジティブに考えられるでしょ。これでまた僕は、ちょっといい俳優に近づいていけると思うことでバランスが取れる感じだと思います。
役の人生を生きる
福野:経験からくる感情の獲得みたいな感覚ですか。
納谷:僕、演技オタクなんで、演技にもいろいろオルタナティブを使うんです。例えば子供を産んだことのない女性が子供を産むシーンをやらなきゃいけないとき、リー・ストラスバーグとかスタニスラフスキーシステムの【その感情に近しい感情を連れてくる】という、そういう演技のメソッドがあるんですよ。でもそれ、演劇の中ではちょっと古くて。僕は今ピーター・ブルックの【経験したことがなくてもそれを舞台上で経験すればいい】という演技論が一番モダンだと思ってるんです。その経験による感情を本で読んだり稽古の段階ではリサーチしたりします。そして、いざ舞台に上がった時に「今日はどういう自分になるのかわからないけど、そこを生きる」というように、そこに自分を飛び込ませればいいっていう考え方です。
福野:1回の舞台ごとに、その役の人生を生きるんですね。
納谷:だから毎回しんどいんですよね、毎回どうなるかわからない。人の死に直面する役だとその人の死を舞台の数だけ本当に体験するわけじゃないですか。だから俳優はタフじゃなきゃいけない。ラッキーなことに僕はタフであることに慣れているし、生半可に調整すると人に感動を与えられないと思うので、毎回傷つくときは全力で傷つこうと思います。
田中:そうなると、体力はもちろんメンタルも重要になりますね。
納谷:常に調子の良い状態でいたいのはもちろんですが、僕はまだそれができてなくて。時々すごく調子の良い日があると、「今朝の朝風呂のおかげかな?」とかジンクスにしようと試すんですが、同じことをやっても全然ダメな日はありますね(笑)。ただ、それらもすべて俯瞰で見て、とにかくいつも基本的には全力で頑張る。ほんとは僕、超ネクラでテンション上げないとできないんですよ。でもそれも直そうと思ってて。どんな時もある一定の結果が出せるクリエイターにならないと、歳を取ってそんなにテンション高くもできなくなってきた時に、もう少し老獪なものを身に付けなきゃいけないな、と思ってます。
福野:まさに役者は人生そのもの、という感じですよね。それを続けるエネルギーの秘訣は何でしょうか。
納谷:「決めたからそうした」のだと思うんですよね。先ほども話しましたが、僕の実家は決して裕福ではないのに、東京の大学へ行く学費や生活費を親にたくさん出させてしまいました。なのに…就職もせずに富良野塾ですよ?(笑)。いよいよ富良野に行く頃には親父に1週間も口をきいてもらえなくて、「これは結果を出さずに辞めるわけにはいかないぞ、俺は」って思いましたね。その確固たる意志で毎日生きていたら、不思議なことにそうなっていくんですよ。僕は学芸会も大っ嫌いでしたし、演劇やりたいなんて1ミクロンも思ってなかった。もともとは映画俳優として売れたくて富良野塾へ行ったんです。だって倉本(聰)先生、ドラマの人じゃないですか。なのに富良野塾、舞台しかやってないんですよ(笑)。そん時にもう、「えぇ~っ!?うそでしょ~!?」って(笑)。
一同:爆笑
納谷:「やべー」と思ったんですけど、せっかくここまで来たのだから舞台が何なのかを学んでいったんです。そのうちに僕にとって大事なのは舞台だから、映画俳優よりも舞台俳優を目指そうと思うようになっていきました。僕はすぐこうまっすぐになっちゃう性格なんで、それ以外のものは考えられなくなるというか、一心不乱になれるんですよね。
福野:そこまでのめりこむことができるということは、ある意味幸せなことですよね。
納谷:常識の中で生きることもできたけど、そうじゃないところで生きようとした部分はあります。あと僕、結婚して20年以上になるんですけど、子供がいないことも大きいですよね。もしも子供がいたら、また違う生き方をしていたかもしれません。ですがもう随分前から思ってることなのですが、仮に今死ぬことになってその間際に「幸せな人生でしたか?」って聞かれたら、「もちろん!」って迷わず答えますね。そりゃあ幸せ以外の何物でもないですよ、好きなことやってきてるんですから。
(3ページ目に続く)