ひらくラジオ②「見る、考える、話す、聴く 〜対話による鑑賞のススメ〜」ゲスト:山崎正明さん
SCARTSアートコミュニケーター「ひらく」1期生 卒業(仮)展
2022 02/26
|ー2022 02/28
UP:2022/12/23
世の中にはいろんな価値観があるから面白い
齋藤|ちょっと意地悪な質問かもしれませんが、熱意をかけて作品を作る側にはやっぱり「こう見てもらいたい」という思いもあるわけですよね。キュレーターとして展覧会を組み立てる樋泉さんご自身としても、自由に見られることに対する抵抗はないんですか?
樋泉|「対話による鑑賞」というと「対話する」という手法が注目されがちですけど、山崎先生もおっしゃっていたように、最初の一人で「見る」というプロセスが大事だと思っています。一方的に作品解説をするというやり方だと、実はその「見る」プロセスがあまり重視されないんです。
山崎|そう。「確認」になってしまうんだよね。作品はへその緒を切った子どものようなもので、もう作者の手元から離れた存在なわけです。だから後は見る側の自由ですよね。作り手の思いを知ってほしいというのであれば、自分で解説を書けばいいんじゃないかと思います。
樋泉|もちろん作品解説の際にも「まずこちらの作品をご覧ください」とは言いますけど、解説するとすぐに「答え」のようなものに到達してしまうんですよ。「対話による鑑賞」というのは、それを避けて「自分で」よく見るためのひとつの方法だと思っています。作品に現れているものをしっかり見ると、自由でありつつも、そんなに的外れな感想は出てこないと思います。
齋藤|なるほど。「作品に対する一人一人の感じ方や考え方を孤独に研ぎ澄ましていく」という話を、昨日のゲストの福住廉さんがされていました(※)。それは決して対話による鑑賞を否定するものではなく、他者との対話を豊かにするものでもありますよね。
山崎|「そんな見方もあるの?」「こんな考え方があるの?」という、みんなで見たからこそ得られた気付き、それが拡散していくというのは面白いですよね。拡散的な思考という意味では、対話しながらの鑑賞は有効です。美術館に行っても、やっぱり誰かと話したくなるんですよね、「どう思う?」って。対話をしながらだと、作品を見る時間も圧倒的に長くなりますね。
齋藤|アートコミュニケーターのみなさんにはこれから先も「対話による鑑賞」を続けてほしいと思っているのですが、改めて、この試みはどんな意味があると思いますか?
山崎|世の中にはいろんな価値観があるから面白いということですね。僕も若い時は反対の意見を言われるのが嫌だったんですよ。でも今は反対の意見のほうが面白いですね。対話による鑑賞を積極的にやるようになってから、生徒が私のところに美術以外の相談に来るようになったんです。生徒たちに、多様な考え方をわかってくれる先生という印象を持たれたのかもしれません。
齋藤|確かに、美術の先生ってそういうイメージあります。RCサクセションの「ぼくの好きな先生」という曲、あれは美術の先生の話ですよね。
山崎|「対話による鑑賞」は誰でもできると思います。世界レベルで「対話による鑑賞」というムーブメントが起きれば、異文化を認めたり、そこに良さを見つけたりという世界になると思うんですよね。あの国は嫌いだと言っている人も、その国で生まれた伝統文化を深く味わってみると、その考え方は変わるはずです。多様な価値観があるから面白いんですよ。
(4ページ目「美術作品を見ることで得られる視点や考え方」に続く)