「道化」の多義性

第5期所蔵品展 エキゾティック・イメージー上海から道化へ

北海道立三岸好太郎美術館
アート絵画

2020 12/19

2021 04/11

UP:2021/10/06

三岸好太郎の「道化」シリーズ作品は、正直全く笑えない。背景の暗さと顔の歪さが相まって、いかにも子どもが見たら泣き出す風貌だ。まるで道化師の裏側を炙り出そうとするかのように、三岸の描くピエロは希望の欠片も無く、ブラックだ。

フライヤーに載せられた「道化役者」という作品は、黄色いステージが華々しいが、役者の姿はおどろおどろしい。既存のピエロの明るく楽しい雰囲気はどこにも見当たらず、大量生産された着色の覚束ない蝋人形のようだ。後ろに描かれた観客は丸と点だけで表現されており、大勢の観客がピエロの演技を楽しんでいるように見えるものの、彼らがピエロを観た反応は全く読み取れない。有象無象の人々を楽しませるピエロという存在の裏には、忘れ去られ、一時の享楽として安易に消費されてしまうことを恐れる心が奥底に眠っているのかと思わず勘繰ってしまった。

この作品とは対照的な「道化」も展示されていた。茶紙に描かれた2つの「道化」作品は、背景もない単色の抽象的な人物画だが、しっかりと表情が残されていて素朴な雰囲気だ。青一色の「道化」には、ちゃっかり頬にチークが付いていて、デフォルメされたアニメキャラのようだ。もう一つの「道化」は、黒目が無く、フェイスパックを付けただけのようなピエロだが、おどろおどろしいフライヤーの作品に比べると、見た目はむしろかわいい。明らかに子どもウケが良さそうな「道化」も残していることや、「赤い服の少女」を考えると、三岸は子供好きだったのかなと思えてくる。

ただし、かわいい「道化」シリーズであっても、私は実際戸惑った。こびりつくように残る退廃の匂いが、顔をしかめてしまうような後味の悪さを私の心の中に残すからだ。ピエロは決して、おどけたサーカスの役者だけではない。スポットライトの裏では、しっかり人間を生きている。中の人間の人生が後味の悪さを起こしているのかと考えると、より一層気分が落ち込みそうだった。

チャーリーNH4⁺

レポート

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