折笠良の「水準原点」を鑑賞して
ことばのいばしょ
札幌文化芸術交流センター SCARTS(札幌市民交流プラザ1-2階)
アート
2020 08/22
|ー2020 09/22
UP:2020/11/18
石原吉郎の同名の詩をモチーフにしたクレイアニメーション。
水もしくは波を粘土で表現しているのだが、正直なところ水や波には見えない。水は高いところから低いところに流れ、波は寄せては返す。その動作がない。止めどなく押し寄せ続ける。不自然。それは災害の汚泥のようで見ていて胸がしめつけられる。映像にマッチする金属的な音楽が不穏な気配を煽る。
場面が切り替わると、波を真上から見ている。地中から何かが湧き上がってきて文字になる。ものすごい力で生み出される一文字。すぐさま消えて次の一文字が出現する。その一文字一文字が詩を紡ぐ。私は今まで、この光景を横から眺めていたのだった。だから寄せては返さない波だったのだ。必死で文字を追い求め、初めて詩の全貌が明らかになる。最後に詩の全文が映し出され作品は終わる。
この詩が描いているのは情景ではなく、心情のようだ。詩の一節に「物質をただすために」とあり、人の意志(人を動かす源)を水の本質にたとえている。水は清く、静かさを湛え、波は穏やかな躍動感がある。この水もしくは波が、苦悩という強い力が加えられ普段の状態とは違う大きなうねりとなって画面を縦横に走る。
これは石原吉郎が本人に向けて書いたものなのだろうか。「北へ求めねばならぬ」。これは決意とも取れる。見ているときに感じた苦しさは、石原吉郎の不安や苦悩の表れだったのか。大きな苦悩を抱えそれを一言ひとこと言葉にして吐き出しこの詩は生まれたのだ。
この詩の生み出されたエネルギーを折笠良は読み取り、その苦悩を目に見えるようクレイアニメーションという技法を用いて力強く表現したのだろう。
私は詩が生み出される瞬間をこの目で見ていたのだった。