『森村泰昌のあそぶ美術史 ほんきであそぶと せかいはかわる』鑑賞レポート

森村泰昌のあそぶ美術史 ほんきであそぶと せかいはかわる

富山県美術館
アート

2020 03/07

2020 04/17

UP:2020/11/10

 富山県美術館で開催された展覧会『森村泰昌のあそぶ美術史 ほんきであそぶと せかいはかわる』は、鑑賞とは何かという根本的な問いに対する一つの愉快な回答を提示してみせた。この展覧会ではアーティストである森村泰昌氏がキュレーションを務め、富山県美術館のコレクションを自身の作品と併せて斬新な切り口で展示している。展示室ごとに異なる手法が採られており、展示空間の作りこみにはかなりのこだわりが伺える。ここでは個々の作品に加え、それらを内包するキュレーションそのものも「作品」となっている。
 例えば初めの展示室に入ると、絵画作品の裏面が、額の裏板を取り外した状態でずらりと並んでいる。作品はパーティションを刳り抜き、埋め込む形で設置されており、本来の表面はパーティションの裏側にある。こうした展示の工夫は個々の作品に対する突飛な悪ふざけや意味の破壊を目論んだものでは決してなく、むしろ、それぞれの作品に込められた意図への森村氏の真摯なアプローチを視覚的に追体験するための仕掛けといえるだろう。
 特に惹きつけられたのは、美術評論家の溝口修造氏のコレクションと森村氏のそれを併置した展示である。そこに並ぶのはこれといった用途や世間的な価値は見出せないが、いずれも所有者独自の価値体系の中に紐づけられている愛すべきガラクタたちである。私にもそんな自分だけの秘密の宝物がある。両氏はそれらのどこを気にいっていたのか想像してゆくと、一つ一つにたまらない魅力を感じて目が離せなくなった。
 森村氏はこの展覧会で、その独特な展示手法と主観を交えたキャプションにより、自身が個々の作品にどのように向き合ったのかを語っている。そしてさらに、自身を例として来館者にも自分にとっての作品の意味を見つけ、心の中で作品と特別な関係を結ぶことを奨励していると思われる。そこで経験するのは、作品との個人的な対話のような鑑賞のあり方だ。

燕麦

レポート

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