一本の小説、生涯分の一日
めぐりあう時間たち
2003 05/17
UP:2020/04/12
死、とりわけ自殺という表現は簡単に私たちを動揺させる。それは緑遠い事件だから驚くのか? それとも没入し自分の事のように悲しむのだろうか? この映画は女性が入水自殺する衝撃的な始まり方である。しかし、彼女の最期は穏やかだった。まるでラストシーンのようだったがこれが今回の映画の象徴である。映画を通して彼女による死への考えを垣間見ることができる。彼女がなぜ死を選択したのかに注目しながら、 私は視聴した。
“THE HOURS”では3人の女性たちの一日を行き来するように描いている。 1941年に生きたヴァージニアは小説家であった。 1951年には彼女が執筆した小説を愛読する専業主婦のローラ。 2001 年では社交的なクラリッサがその小説にそっくりの一日を過ごす。彼女たちは時に一連の動きとしてつながったり、時に同じ行動をとったりする。 3つの全く違う人生なのに違和感なくシーンが切り替わっていくのが楽しい。
彼女たちにはそれぞれパートナーがおり、何不自由ない暮らしをしているように見える。しかし、例外なく苦しみを抱いている。一番昔の彼女は心の病を抱えていた。小説を推敲しながら、言い様のない希死念慮とたたかう。その小説を読むローラは気持ちを抑圧する女性だ。彼女の家庭は平穏だが内心では逃避願望を募らせる。クラリッサは明るく見えるが、精神的に不安定な古くからの友人を支える辛い立場にある。そのことに関してだけは思わず感情的になる一面もある。三者三様の葛藤が結末に向けて収斂していく流れを見届けずにはいられない。
映画を最後まで観て、3人とも印象が強いが個人的にはヴァージニアが魅力的だった。彼女が書く「女性の生涯をある一日に込めた小説」は当映画そのものを表す。現実問題としては自殺の是非は意見が分かれるが、フィクションとして、最初から決まっていたように自然な行動であった。 それは納得して導きだした結果であると彼女自身が語る。彼女が沈んだ川の輝きが暗い結末ではないと示すようだった。