ひらくラジオ①「勝手に始める”批評”のススメ」ゲスト:福住廉さん(美術評論家)
SCARTSアートコミュニケーター「ひらく」1期生 卒業(仮)展
2022 02/26
|ー2022 02/28
UP:2022/12/09
札幌文化芸術交流センター SCARTSでは「SCARTSアートコミュニケーター」というチームを結成し、世代や職業を越えたさまざまなメンバーが、市民とアートのつなぎ手として活動しています。今年3月に1期生が任期を終えることを機に、[アートコミュニケーター「ひらく」1期生卒業(仮)展]を開催し、「ひらくラジオ」と題して、3本のトークを実施し、YouTubeでも配信しました。講師として関わってくださった方々をゲストに招き、SCARTSアートコミュニケーション事業を担当してきた齋藤がインタビュアーとなり、卒業までの活動を振り返るとともに、文化事業に市民が参加する意義などについて語っていただきました。
ひらくラジオ①「勝手に始める”批評”のススメ」
P1 自分の声を言語で表現するのが批評の基本
P2 一人で作品に向き合う中から生まれるもの
P3 意見の多様性を担保するのが民主主義
P4 素人のプロフェッショナルな部分が見たい
‧ゲスト:福住廉さん(美術評論家)
‧聞き手:齋藤雅之(SCARTSアートコミュニケーション事業担当(当時)、(公財)札幌市芸術文化財団所属)
‧ライブ配信日:2022年2月26日(土)17:00〜18:00
自分の声を言語で表現するのが批評の基本
齋藤|アートコミュニケーター「ひらく」1期生卒業(仮)展の関連イベント「ひらくラジオ」、1回目のゲストは美術評論家の福住廉さんです。
福住|よろしくお願いします。
齋藤|福住廉さんには何度かアートコミュニケーターの講座に来ていただいています。アートコミュニケーターの活動の柱のひとつとして、ウェブで情報発信をしていますが、その際に必要になる文章の書き方や構成の仕方‧インタビューの仕方などのレクチャーをしていただきました。ここに現物があるんですが、毎回講座ではアートコミュニケーターに400字とか800字の文章を書いてもらうんですよね。それに福住さんが赤字を入れてくれるのですが、もう本文より赤字の方が多いじゃないかというくらいに細かくびっしりと添削してくださっています。それでアートコミュニケーターたちは文章を書いて直し、書いては直しを繰り返していましたね。
福住|そうですね。
齋藤|福住さんはご自身で批評を書く一方で、このSCARTSで行っていただいているように、いろいろなところで文章の書き方を教える講座をお持ちですよね。
福住|そうですね、その中でも一番長いのは横浜で、毎年ではないんですけれども、「BankART School(バンカートスクール)」(※1)で2004年ぐらいから。あとは名古屋とか新潟とか、呼ばれれば行くという感じでやってきました。
齋藤|今日のテーマは大きく分けて二つありまして、一つが「批評」とは何ぞやという話です。そこでキーワードになるのが「素人批評」です。これは単に素人が批評の真似事をしているということではなく、プロの書き手ではない人の批評だからこそのポテンシャルがあるといったような意味合いがあるそうで、その話をまずお聞きします。もう一つは大きなテーマなんですけれども、「民主主義」の話です。このSCARTSアートコミュニケーション事業もそうですが、全国でも市民参加事業が実施されており、それが一体何のためにあるのか、どういうことを目指しているのか、そのあたりをお聞きしたいと思います。
福住|よろしくお願いします。
齋藤|僕が福住さんの講座をずっと聞いていて、印象に残っている言葉があるんです。批評というのは別に作品に従属するものじゃなく、それ自体が書き手にとっての作品だとおっしゃっていましたよね。これは一般的な「批評」のイメージとは少し違うと思うのですが、改めて、すぐれた批評というのはどのようなものでしょう?
福住|よくテレビのドキュメンタリーなどで「あなたにとって批評とは何ですか?」なんてテンプレ的な質問がありますが、答えられるくらいだったらそんな楽なことはないわけですよ。今おっしゃったように、作品から作家のメッセージを正しく抜き取って「自分は理解できた」とするような美術の考え方ってすごく根深いんですよね。でも作品というのは開かれたものなので、鑑賞者が作家の表現した作品からどんなメッセージを読み取るかということは、基本的に自由であるはずなんです。極端な話、ピカソとかマティスを見て「下手くそだな」とか「子どもが描いた絵みたいだな」と思ってもいい。自分はこういう風に読み取ったとか、自分はこういうメッセージを受け取ったということを言語で表現することが批評の最も基本的な定義です。僕のように職業的にやっている人もいるけれど、誰もが鑑賞するなかでそういった批評的な見方をしているはずです。それを言語で表現するための技術と機会を提供するというのが僕のやりたいことです。
(2ページ目「一人で作品に向き合う中から生まれるもの」に続く)
(※1) 横浜にある、社会人や学生を対象としたアートスクール。