『教文オペラ/トスカ~行け、黄金の翼にのって~』インタビュー
教文オペラ G.Chiaro presents ドラマティック・コンサートVol.3 Va pensiero sull'ali Dorate ~行け、黄金の翼にのって~
2019 12/04
|ー2019 12/05
UP:2019/12/11
12月にG. CHIAROと札幌市教育文化会館が主催のドラマティック・コンサート公演が開かれました。プッチーニ作曲「トスカ」とロッシーニ作曲「セビリアの理髪師」ハイライトなどの上演ですが、この公演に先立ち、出演するオペラ歌手である倉岡陽都美さんにインタビューをさせて頂きました。倉岡さんの音楽に対する純粋な気持ちやイタリアでの誰もが経験できないような事など、とても興味深いお話をお聞きする事ができました。
インタビュアー/スタッフ:三宅美緒、田中かず子、萩中留美子
インタビュー受け手:ソプラノ歌手 倉岡陽都美さん
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自分の進む道がイタリア、オペラだと自然に導かれた
倉岡陽都美さん
三宅:オペラ歌手になるきっかけは何だったのでしょうか。
倉岡:子供の頃から歌うのがすごく好きでしたが、両親が持っていたレコードのショパンの作品集にものすごく衝撃を受けて、中学の終わりぐらいに、自分の進路は音楽家になると決めていたのです。
毎週、札幌の井出祐子先生のレッスンへ通うのが当時の私にとって純粋に楽しく、回を重ねるたびにオペラの虜になっていきました。私は夕張の自然の中で生まれ育ち、のびのびと声を発することのできる環境におりました。先生が「あなたの生まれ育った環境が、その声を育ててくれたのかもしれない。」と、おっしゃってくださったのを今でも鮮明に覚えています。
オペラは知れば知るほど勉強すべきことが沢山あり、どうすれば課題を克服できるのか悩み、その連続でした。マリア・カラスの言葉に「歌い手は死ぬまで学生なのよ」とありますが、今もなお学ぶことは尽きません。それが前進し続けなければいけないというエネルギーの糧になっていると思います。
本格的に15歳でオペラ歌手を志すと決め、その当時オペラを学ぶ環境として急成長を遂げていた昭和音楽大学に進みました。イタリアオペラを専門に力を入れている大学で、在学中にイタリア研修などもあり、自分の進む道はオペラだと、自然に導かれていきました。卒業後も全く迷うことなく本場で言葉を習得して、文化に触れて、技術を磨く、という目的を持って、イタリアに留学しました。国立音楽院卒業後デビューを果たし、無我夢中で活動に取り組み、気がつくと15年経っていました。
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15年滞在したイタリアから帰国を決断し、私が音楽で何かをお返ししたい。
三宅:なぜ札幌に帰ってこられたのかをうかがえますか。
倉岡:本当に多くの理由があるのですが、音楽と出会った私の原点である街なのです。オペラと出会えたのも札幌在住の先生とご縁が繋がったからです。イタリアに骨を埋めるつもりで活動し、今までひたすら走り続けて経験を積んできました。40歳の人生の節目を目前に、ふと立ち止まり、さて、これから何をしようと考える時に、ちょうど恩師の祝賀会で一時帰国した際に、「もしも日本に帰ってくる気持ちがあるのなら早い方が良い。」という先生からの助言をいただいたのも理由の一つです。そして、帰ってくるたびに発展の加速を続ける札幌を目の当たりにし、芸術文化界を感じたのです。「これから益々、変わっていく、そのちょうど過渡期にあるのだ」と。
もしかしたら、15年イタリアで培ってきたものを音楽を通じてお伝えする事で、社会に貢献させて頂けるのではないかという気持ちが生まれました。今までただ自分だけと向き合ってきましたが、それが出来たのも家族や先生や、芸術分野でご活躍されている皆様のおかげだと本当に感謝しております。今度は私が音楽で何かをお返しすることができればと思い、決断しました。
インタビューするアートコミュニケーター
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