『アイヌの美しき手仕事』展を見て
アイヌの美しき手仕事 柳宗悦と芹沢銈介のコレクションから
2019 11/19
|ー2020 01/13
UP:2020/04/12
アイヌ文様が施された品々が空間内で響き合い、鑑賞者はいつしかその渦の中に取り込まれる。北海道立近代美術館の『アイヌの美しき手仕事』展はそんな錯覚を起こさせるような、独特な展示手法をとっていた。
まず、配置に作者・制作年代・様式といった具体的な基準が存在しない。存在するのはより抽象的なテーマに基づくグループ分けである。その上で、個々の工芸品は空間内の調和を重んじて設えられている。ここでは、作品を体系的に理解するよりも感覚的に享受することが意図されている。これは展示品に固有の名称をはじめ詳細な情報がないためでもあるだろう。ただしここで重要なのは、設置者が凝らす趣向により、ある美意識が提示されていることである。まるで茶室で調度品を眺める日本の伝統的な鑑賞体験を受け継ぐが如き展示手法である。
しかし同時に、その空間における説明されない美をどう受け止めるべきかという葛藤が生じる。私たちはその工芸品の何に美を感じているのだろうか。同じ所作を何度も繰り返すことでのみ獲得しうる確かな技量の痕跡だろうか。部分的にも全体的にも全く破綻のない見事な意匠だろうか。はたまた、入念に作り上げられ大切に使用されたもののみが宿す荘厳さだろうか。
この問題を検討するために、今回の展覧会の鍵となる柳宗悦と芹沢銈介の思想を参照することは勿論有効であるに違いない。しかしこの展覧会の解説で明らかになるのは、彼らにとってアイヌ工芸は様々な地域の工芸へ関心を向けた中での一つに過ぎず、その関心もアイヌ民族に対する深い理解に基づくものではなかったことである。
彼らが生きた時代、交通面の事情もあり、本州では北海道もアイヌ民族も現在考えるより遥かに「遠い」存在だった。流通の過程でアイヌ工芸の制作にまつわるコンテキストは洗い流され、新たに美的価値が付与される。そんな当時のアイヌ工芸の状況が浮かび上がり、そして現在へと波紋を投げかける。
そのとき、私たちはこれまで美を何によって捉えていたのかという問題から、そもそも美とは何かというより根源的な問題にまで足を踏み入れることになる。