アーティストインタビュー:進藤冬華

『進藤冬華 | 移住の子』

モエレ沼公園ガラスのピラミッド
アート特集

2019 07/20

2019 08/25

UP:2019/09/01

撮影:露口啓ニ

 

2019年7月20日から8月25日まで、モエレ沼公園ガラスのピラミッドにて、進藤冬華による展覧会『進藤冬華|移住の子』が開催されました。進藤がここ数年続けてきた、ホーレス・ケプロンに関するリサーチの集大成ともいえるこの展覧会は、どのようにして作られていったのでしょうか。展覧会の話を中心に、これまでの制作についてや、札幌で活動することについて、幅広く伺いました。

 

展覧会詳細についてはアートコミュニケーターによるレポートがいくつかアップされておりますので、鑑賞レポートをご覧ください。>>SCARTSアートコミュニケーター鑑賞レポート


インタビュアー/スタッフ:朝日泰輔、石黒由香、川内由佳子、杉谷紬、田中かず子、田中麻貴、三宅美緒、山際愛、小山冴子(SCARTS)
カメラ:八木澤つぼみ、


頭で想像するのではなくて、自分の身体をつかって身体的に理解したい

 

小山:進藤さんはこれまでの制作においても、様々な方法でリサーチや制作をされてらっしゃいますが、今回展示されていた『ケプロンと私の日誌1871-1875 and 2018-2019』という作品は、進藤さんのリサーチの方法・制作態度を象徴しているなと個人的には思いました。進藤さんは対象を掘り下げるとともに、もっと踏み込んで、まるで対象と重なってみるようなやりかたをとっていると思うのです。その人と自分とを同化させて、とりあえず付き合ってみる。その中で出てくる違和感だったりズレだったりを、ひとつひとつ形にしていっている、というような感想を持ちました。

 

 進藤 :そうですね。リサーチ対象について、追体験したいという気持ちがあります。私は知識として情報を得ることにあまり興味がないというか、頭で想像するのではなくて、自分の身体をつかって身体的に理解したいんです。そしてそのときに何を感じるか、何が見えるのか、そういうことにすごく好奇心が向いているんだと思います。だからこそ「重なっていく」ようなことが起こるんだと思うんです。


撮影:露口啓二

『ケプロンと私の日誌1871-1875 and 2018-2019』  撮影:露口啓二
幕末から明治にかけて、欧米の技術、学問、制度を導入して「殖産興業」と「富国強兵」を推し進めようとする政府や府県などによって雇用された、お雇い外国人の一人であるホーレス・ケプロンが、日本に居た時期に書いていた日誌(ホーレス・ケプロン『蝦夷と江戸―ケプロン日誌 (1985年)』西島照男訳,北海道新聞社)を元に、ケプロンの4年間(1971年4月1日〜1875年3月31日)の年表が作成されている。その下には、2018年4月1日から2019年3月31日までの進藤の日記が記載されている。


小山:これまでの作品でも、サハリンや北海道の地元の人から伝統的な刺繍の刺し方を習って制作した作品などもあると思うのですが、そのように、実際に一緒に動き、体感しながら考えていくような事がすごく多いと思うんですね。それが進藤さんの制作の特徴でもあるのかなと思って見ています。ただマネする、習う、というだけではなくて、一緒にやってみる、重なってやってみるということだと思うんです。さっき展示を見ながら作品の解説をしていただいたのですが、お話を伺いながら、いろいろな距離を取ろうとする人だなと思いました。ケプロンとの距離、過去作でいえばアイヌとの距離もそうですが、すごく近づいたと思えば、少し離れてみたり、そこに複数の距離の持ち方があるなと思いました。進藤さんの中で、対象との距離の取り方についてはどのように意識していらっしゃいますか。

 

進藤:うーん、あまりそういうふうに考えたことがないですね。でも、距離をとってるときって「嫌だな」と思っている時なのかもしれないです。

 

一同:ケプロンをですか?

 

進藤:びっくりするかもしれませんが、そうです。たとえば、ケプロンの誕生日にケーキを買って「ケプロンおめでとう」と書いて食べたら、すごく嫌な気持ちがしたんですよ。家族とか、子どもだとか友達だとか、お祝いしたい人というのは、そこに祝いたい気持ちがあるからやるわけですが、「私には彼を祝いたい気持ちなんて無いんだな」って思いました。私は、開拓について好意的には見ていない部分があります。開拓の歴史って、政府が制度として決めて進めているものなので、個々人の気持ちではなく、ある種暴力的なところがあると思うんです。そしてケプロンはそういう側の人ですから、私はそこにすごくわだかまりがあって、彼のことを個人としてもなかなか受け入れられない部分があるのかもしれません。ケプロンの日誌を読んでみると、彼は村を興し、国の方針を決めていく人なので、やはりある意味で強引だったりもするのですが、でもそういう人じゃないと物事は決められなかっただろうと思うので、そういう意味では彼は開拓に向いていたんだと思います。しかも、当時はそれが絶対に正しいと思っていた。物事を進めるという意味では適任だと思うんです。でも、私が彼になれるかというと、絶対になれない。


作品にはいろいろなものが込められるし、いくつもの切り口で見せることができる。それが美術のいいところだと思います。

石黒:今、ケプロンのことがあまり好きじゃないという話が出ましたが、でも、進藤さんは長い時間とエネルギーをかけて彼を追いかけていますよね。そもそも何故ケプロンを取材対象にされたのでしょうか。

 

進藤:やっぱり、はじめに当たりをつけるようなところはありました。開拓時のお雇い外国人って何人もいたのですが、ケプロンが一番初期の、一番偉かった人なので、開拓の大きな方向性みたいなものを決めたのはおそらく彼なのではないかと思って、彼に決めました。この人が好きだからとか尊敬できるからという理由ではなく、オートマチックに決めています。

 

石黒:途中から、やっぱり別の人にしようとは思いませんでしたか?

 

進藤:いや、思わなかったかな。好きな人を探してからその人に決める、というのは普段のリサーチでもあまりしないかもしれないですね。

 

石黒:ケプロンを追うというよりは、まず大きなテーマがあって、それにふさわしい人がケプロンだったということでしょうか。

 

進藤:そうですね。私の中では開拓の歴史というテーマのほうが大きいし、それによって自分の背景に何があるかを知りたい気持ちのほうが強いです。だからこそ、彼の視点を通して開拓を見るような部分があると思います。 私が北海道のことをやっているのは、やっぱり自分の背景とすごく関係しているからです。日本史は学校で習うんですけど、北海道史を含め地方史というのは、自分が気にしないと見えにくいと思うんです。また、それをどういう切り口で捉えるかによっても、見え方は変わってくるし、やるたびに新しい発見があります。今でも本当に知らない事ばかりだな、というのを実感します。でも、気にしはじめると、町の見え方も変わりますよね。

8月24日に展覧会の関連でサイクリングイベントをするので、今日は下見に行ってきたのですが、いつも車で通っているところも全く違う切り口で見ることができました。北区の方に行ったのですが、道路が曲がっている所は河川の跡だったりするんです。そして、そういった道路沿いには、札幌軟石でできた古い倉庫だとか、古い神社があったりするんですよね。でも普通に通るだけでは、そういった事には気づきません。今日みたいに、いつもとは目的を変えて移動すると、普段だったら気づかないような事に気付いたり、違う風に町が見えたりするのが面白いです。リサーチも同じような気がします。

 

川内:その、視力が上がる感じ、面白いですね。

 

朝日:今、お話を聞いていて、これだけリサーチをしている進藤さんが、知識として情報を得ることに興味がないとおっしゃったのが、新鮮に感じました。作品を作る過程においては、身体的なものを通して知識を確かめているような感覚なのでしょうか。そして、さらにそこから、自分の中で感じるものを表現するということですか。進藤さんのされている事というのは、リサーチの部分を本にしても、ひとつの仕事として成立するような気がするのですが、しかし単なる知識で終わらずに、あえてアートという形で表現をしているというのが、僕にはすごく面白いなと感じました。

 

進藤:ありがとうございます。でも、私がリサーチして調べているものって、アカデミックな知識としては全く追いつかないんですよ。私の場合、やっぱり色々な分野に手が伸びちゃうんですね。そうするともちろん、その道のプロのレベルには到底辿り着けない。リサーチで私の得ている知識というのは、素人のレベルでしかないという意識があります。それを図に落とし込んで整理することはあるのですが、アカデミックな論文になることは、まず無いですね。でも美術の面白いところというのは、私のように知識としては素人でも、自分の意見なり感じたことを、作品として公に出せるところだと思います。これはすごくレアなことだと思うんです。作品というのは、自分の意見の表明みたいなものであると思います。それは、「こうである」とはっきりしている場合もあるのですが、「分からなかった」とか「すごくもやもやした」とか、答えの出出ていない場合もあるんですよね。そのような状態でも、自分の意見としてパブリックなところに出せる。作品にはいろいろなものが込められるし、いくつもの切り口で見せることができる。自分の一人の考えを込められるっていうのは、すごく面白いと思うし、美術のいいところだと思います。

田中か:なるほど。大変興味深いです。進藤さんの作品について、みんなで共通して持っていた印象は、進藤さんはすごくユーモアがある人だなということです。なんだか、作品におかしみがありますよね。

 

進藤:ああ、そう言われることはよくありますね。私は結構まじめにやっているんですけど(笑)。笑わせようとかは、実はあまり思っていないですね。そう思った途端に、わざとらしくなったりするのではないかなと思って。でも、今回展示している旗の作品『8つの旗』は、私の意志というか、意見がすごく入っているものだと思うんです。だから、今までの作品よりも、ある種ポジションがはっきりしていて強いものだなと思います。

(2ページ目に続く)

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