アーティストインタビュー:進藤冬華

『進藤冬華 | 移住の子』

モエレ沼公園ガラスのピラミッド
アート特集

2019 07/20

2019 08/25

UP:2019/09/01

美術ってかっこいいなと思ったんです

『移住の子』(部分)撮影:露口啓二

 

小山:進藤さんはケプロンのリサーチを何年も続けてこられていて、今回の展覧会がある意味、その集大成的なものになるのではないかと思うのですが、今後どういう風に進藤さんの活動が広がっていくのか、とても興味があります。今回のリサーチがケプロンに結びついたのも、進藤さんのこれまでの作品から繋がって、開拓に焦点が当たり、ケプロンに出会って・・という風に、順々に繋がってきたからだと思うんですが、次はまた別の方向へ繋がっていくのでしょうか。

 

進藤:まだ考え中な感じです。もちろん、今進めている作品もあるのですが、それは歴史にはあまり関係がないですね。私の祖母が、今ホームに住んでいるんですが、彼女とここ2、3年、縫物をしています。パッチワークとかアップリケを作るようにして、タンスみたいなものだとか、ベッドのようなものを布地で作って、縫い物で祖母の部屋を作ろうとしています。これはケプロンのリサーチと平行してやっていたのですが、ケプロンの次となると、まだ分からないですね。でも私は北海道史を追っているので、そのなかで開拓は絶対的に重要な部分でした。ここをやらずに済ます事はありえないと思っていました。あとは、たとえば縄文時代とか石器時代だったりだとか、もちろんアイヌのことなどは、また繰り返し制作のなかで扱うかもしれないし、開拓に関しても違う人のポジションから見たリサーチもあるかもしれませんね。

 

田中か:エドウィン・ダンとか?

 

進藤:やっぱりクラークかな。でもそういう感じで広げられるとは思ってます。

 

小山:先程の、おばあさまとアップリケを作っているという話もそうなのですが、進藤さんの作品には、大きな歴史もあるけど、個人の歴史がありますよね。そしてその重なりや距離のなかで、あぶり出される色々なものを作品にしていると思います。先程から何度か、「開拓についてわだかまりがある」とか、「日本人と言われても、北海道はそこからずれている感覚がある」など、色々なキーワードが出てきているのですが、進藤さんは定まりそうで定まらない「自分は何者なのか」みたいなところを、ずっと追いかけている感じがしました。そしてそれは、進藤さん個人の問題としてだけではなく、観客すべてに展示を通して問いかけられているように思いました。北海道史を追いかけているというと、展覧会として北海道でやるからこそ意味があるかのように見られる可能性も大いにあると思うのですが、でも、そこに「北海道」ではなく、「わたし」という個人、あるいはケプロンと重なった「わたし」の目線がはいることで、北海道の歴史という大きなテーマは抽象化されるように思うんです。だからこそ、展覧会は北海道という場所性を超えて、届くんだと思いました。さきほど田中さんが言われたように、進藤さんの作品を見ながら自分の記憶が引き出されるというのは、そういうことなのではないかと思いました。

 

進藤:ありがとうございます。たしかに私は個人の話や目線での作品をつくってはいるのですが、でもそれは、私個人の話、ということではないんですよね。そこに、作品にする意義があると思っているので、そういう反応はとても嬉しいです。

 


展覧会が、その場所だけに留まらずに、どこまで届くのか

石黒:すごく大きな質問で恐縮なんですが、どうして進藤さんは、アートの世界に入ろうと思ったのですか。

 

進藤:かっこいいと思ったんですよ、美術を。私は絵を描いたりするのは、あまり得意ではないんですが、デュシャンってご存知ですか。ああいった作品を見て、美術ってかっこいいなと思ったんですよね。でも今はもう、そんな簡単なものじゃなかったなとも思っているんですけど。

 

山際:でも作り続けているってことが、やっぱり素晴らしいですね。

 

進藤:不思議ですよね。なんで今、こういうふうになっているのかは自分でもわかりません。でも、皆さんもきっと、何故か辞めずに続けている事って何かあると思うのですが、そこにはやっぱり、何かしら理由がありますよね。不思議ですけど。

 

石黒:続けていくためのモチベーションはどこからくるのでしょうか。

 

進藤:やっぱり、条件としてできるからというのもあると思います。できてるっていう状況がある。それに、やっぱり嫌いじゃないからだと思います。私は普通に働いても、全然保たないんですよ。続かない。そういう意味では、美術のほうが合ってるんだと思います。でも制作を続けるために私より苦労されてる方ももちろんいるので、そういう方を見ると、その人の情熱のほうが多分強いんだなって思うし、私はまだまだかもしれない、と思うんです。

山際:今回は、進藤さんからアートコミュニケーターに、「展覧会に合わせて一緒に何かできないか」という投げかけがあって、今回特集記事をつくることになったのですが、そもそも、なぜ私たちに声かけをしてくれたのでしょうか。

 

進藤:今回モエレ沼で展示をしているのですが、できるだけ広がりをもたせたいという気持ちがありました。今回は、アートコミュニケーターさんへの投げかけのほかにも、スタジオでトークを開催したりだとか、自転車のチームに頼んでサイクリングイベントを先導してもらったりもしていて、モエレ沼だけにとどまらず、なるべく沢山のひとに関わってもらって、外に繋げていきたいと考えていました。展覧会がその場所だけに留まらずに、どこまで届くのかが重要だと思ったんです。私は札幌をベースに活動をしているのですが、今まで東京や外で展示をする機会も割とあったので、今回のように、札幌で展示に集中できたことが、あまりなかったと思うんですね。だからこそ、札幌の美術のポテンシャルがどのくらいあるのかを、この機会に明らかにしたいというか、ここまでできるんだということをきちんと示せたらいいなと思っていました。地方で美術のことをやるというのは、すごく難しい部分があります。札幌だけで展示をしていても、機会がすごく限られてくるので、やっぱり外へ出ていかないといけないのではないかと思えてくる。でも実は、札幌の中だけでも一つの展示を充実させることは出来るし、それを示すことが出来れば、地方の美術の充実も出来ると思うんです。それに展示として充実していれば、それをパッケージングして外に出していっても全く恥ずかしくないはずだし、こういうふうに興味を持っている人がたくさんいて、札幌にもポテンシャルがあるんだということを、どこかに発信することもできる。私には、やれる事をやれていないし、本当はやるべきことを今までやってこなかったのではという劣等感のような気持ちがあったので、今回はなるべく広く届けたいと思っていました。だから、こういう風に来ていただいているのが本当にありがたいし、これがきっかけで、次の展示でも何かできればいいなとも思っています。

 

田中か:進藤さんの熱い思いがあったので、今回、作品をしっかり理解する機会をいただけたのだと思います。直接お話して質問ができたことが、とても有意義でした。

 

進藤:私も、質問をされて、なるほどと思うことがたくさんありました。ありがとうございました。

 

(4ページ目:取材後記へ)


 

進藤 冬華 Fuyuka Shindo
1975年札幌生まれ。2000年北海道教育大学札幌校芸術文化課程美術・工芸コース卒業。2006年University of Ulster、Master of Fine Art(ベルファスト、UK)修了。近年は「札幌国際芸術祭2014」を皮切りに、「黄金町バザール2015」、「対馬アートファンタジア2016」などのアートプロジェクトに参加するなど、多様性のある文化、社会を紐解く作家として活躍の場を広げている。 https://www.shindofuyuka.com/

 

 

管理者

レポート

管理者