作家 国松希根太さんとみる《HORIZON》

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2021 10/02

UP:2023/01/11

H O R I Z O N》について

【《HORIZON》の意味とその作品の余白】

 

国松希根太《HORIZON》
板にアクリル絵具 164×448cm, 164×453cm, 164×448cm さっぽろ創世スクエア蔵
撮影: フォワードストローク

 

Q : それではさっぽろ創世スクエアにある《HORIZON》についてですが、国松さんにとって《HORIZON》とは作品と絡めてどんな意味を持っているのでしょうか。またこれは2009年から長く描き続けているシリーズですよね。

国松:英語では水平線と地平線という両方の意味を含んでいるんです。

これは水平線、太平洋ですよ、と言っちゃうと、まあそれにしか見えないけれど、見る人に感じる幅を持たせたいという思いがあります。例えば水平線は浜辺に行って見ても、ちょっと高い丘から見ても、地球が丸いので地平線の位置はだいたい目線のところにくると言われているので、人が本能的に見てしまう対象なのかなと。

以前白老に友達が来てみんなで海に行ったときに、それまでいろいろ話していたのに海を前にすると途端に話さなくなって物思いに耽ったり、ただぼーっと見続けてしまったり…。焚き火などの火を見つめるときにも共通しているんですが、どこかリセットされたり気持ちを落ち着かせたりするものが水平線や地平線にはあると感じるんです。

そんな体験を作品にも表してみたいと思い始めて、今も続けているシリーズです。

 

Q : 私は《HORIZON》に、作品自体が夢とうつつのあいだのような神秘的な印象や、線の境目の黒い影の部分にざわつくような不安を感じました。ご自身で意図して表現した部分はありますか。

国松:自分ではあまり表現を意図しないようにしています。作品の中に自分が見ている風景を人にも見て欲しいというよりは、多分人はそれまでに見てきた記憶の中にある風景と重ね合わせて見るので、ある人は海に見えるけどある人は砂漠に見えたり、そういう幅広い受け取り方があると思っています。

《HORIZON》以前の作品は「自分はこういう表現もできるんだぞ」と一方通行な意識で作ったものが多いと感じていたので、《HORIZON》は普段だったらもっと描きすぎたり作りすぎたりしていた部分を途中でやめてみたんです。そうすることで足りないところを見た人がイメージで補ってくれて、そのときに一方通行じゃなく見た人が補って完成する作品になったと感じました。説明しすぎるとその通りに限定されてしまうので、やりすぎないことで見る人の心情や記憶なんかが入り込みやすくしておく必要があるな、というのを意識しています。

 

Q : 作りすぎないということを意識されているということですが、《HORIZON》の制作過程を教えていただけますか。

国松:最初に完成図を描いて作っていくのではなく、まず目の前にある板を眺めて、だんだんと水平線や地平線のようなラインがぼんやり見えてきたら、そこから大胆に色をのせてヤスリで削り取っています。

それらを繰り返していくことで景色や奥行きができていくのですが、先程のざわつくような黒い影も、あえて作るというよりはヤスリで剥がしたときに色が残るところと削れてしまうところが偶然影のように現れるんですね。

それが面白ければ残して、そうでなければ消して…とやっているので、心情を表したいからそれらを描いているのではなく、消したいところを消していくことの連続だというのが大きいです。

 

Q : 《HORIZON》ですと、きっちり境目が描かれていますよね。ぼかして描くこともできたのではと思うのですが、この線を引いたというのも制作中のインスピレーションに従ったからでしょうか。

国松:線をはっきりとさせるときと逆にぼかして直線がないような作品を作るときがありますが、実はそれについては最初の描きはじめに決めて作ることが多いです。ですがたまに途中で気に入らなくて、真ん中の強い線も消してしまうこともありますが…。

《HORIZON》の場合は線をはっきりさせて制作を始めました。

一番下に木の板、その上に色をのせ、さらに一番上に普段はしないマットな透明コーティングをしたことでもう一層手前にレイヤーができてまた違う奥行きが出たので、制作中も線は消さずに完成させました。

 

(3ページ目に続く)

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