演劇「リチャード二世」鑑賞レポート
リチャード二世
2020 10/02
|ー2020 10/25
UP:2021/03/13
9時間にも及ぶ上演で演劇界の度肝を抜いたという『ヘンリー六世』から、『リチャード三世』、『ヘンリー四世』、『ヘンリー五世』と足掛け12年にわたり新国立劇場で上演されたシェイクスピア歴史劇シリーズ。このたび、血族も同じ俳優で演じ続けたという国内外でも希少な試みの完結編が、過去作の上映と併せて上演された。本作は、薔薇戦争の発端となる王位譲渡を描いた、これまでの歴史絵巻の起点となる作品である。
若くして戴冠し、現実を直視できず身勝手な振る舞いを続けた結果、追われるように王位を譲り渡したリチャード。彼が逃げ伸びた城は、小さな囲いで作られた貧相なもので、その王冠と同じく、権威ははかなく、どこか滑稽なものであることを象徴している。岡本健一演じるリチャードは、為政者としての器を持ち合わせておらず人心が離れるのも仕方ないような浅はかな人物であるが、王位譲渡の際の鏡の場面や幽閉されたロンドン塔の場面で、自分の来し方や存在意義を自問自答する姿には、人間の本質的な哀しさが滲み出ており、場違いなほどに美しく紡がれる言葉の数々と共に惹き込まれてしまった。生まれる時代や立場が違ったら、周りに彼を正しく導く人の存在や早くに聡明な気づきがあったのならば、この詩人の男の運命も変わっていたのだろうかとつい思わされる反面、冷めた目撃者のような気持ちにもさせられた。
対する浦井健治演じるボリングブルックは、既に次世代の王となることを予感させる力強い人物として登場。浦井は、権力闘争から目を背け、空想の世界へと逃避していたヘンリー六世役のどこか浮遊した雰囲気とは別人のような変貌ぶりである。人々の血が流れるのに併行し、業を背負うかのように白い衣裳が次第に赤く染まっていく。ボリングブルックがいつから王位を狙っていたのかは観客の想像に委ねられるのだが、王位継承後、感情を表に出さなくなった彼が、オーマール公の嘆願やラストのリチャードの姿と対峙した時に、王冠を被るが故に抱えることになった孤独と心の揺らぎを、時にユーモラスに、時にシリアスに垣間見せた。他の登場人物の思惑も交錯し、悲喜こもごも、そんなに物事は単純ではないという描き方が心憎い。
草花が生い茂る荒野のような舞台美術は、場面によって城の中庭や海辺の浜へと見る者をいざない、人間の盛衰も自然界の営みのごとく諸行無常であることを物語っている。劇場を出ると、一瞬、暗闇から光の下へ出た時のような戸惑いを覚えた。今、見てきたのは別世界の景色だろうか。いや、私達が見てきたものは幾度も塗り重ねられてきた現代と地続きにある確かな歴史だ。
コロナ禍の中、演者や製作者の意地と誇りを賭けたこの舞台シリーズに、続編があることを期待してやまない。