『真説カチカチ山/ロングクリスマスディナー』インタビュー
教文オペラ オペラ公演「真説カチカチ山」「ロングクリスマスディナー」
2019 12/14
|ー2019 12/15
UP:2019/11/03
ドン・ジョヴァンニが騎士団長を殺した夜の闇を、現代の都会に生活するわたしたちは知りません。モーツァルトがその闇に託した死生観を、今の観客に伝える工夫を、演出家がする必要があります。
朝日:すごく面白い話です。今、楽譜というお話が出てきたかと思うんですけれど、モーツァルトにせよワーグナーにせよ、素晴らしい音楽を楽譜に残していますよね。僕はどちらかというとCDでオペラを聴くのが主なんですけども、音楽だけでも充分満足しちゃうっていう部分があると思うんです。演出家の方にこんな質問をするのは失礼かもしれないですけど、あまりに音楽がすごすぎて、これは演出がつけられないなとか怯んでしまうこととかって無いんですか?
三浦:ないですね(笑)。いや、僕も元々は音楽を聴くところから入りましたし、今でもものすごいオペラを聴きますし、シンフォニーのような一般のクラシックも聴きます。だからおっしゃられていることはよく分かりますが、僕はそのハードルが高くなればなるほど燃えるといいますか。
僕が演出家になったのは結構遅くて、40歳の時でした。それまで僕は歌い手で、アメリカの大学院で歌の勉強をしていました。その時のアメリカの教育は進んでいて、単に歌のトレーニングをして歌い手を育成するのではなく、歌い手の周りにいる人のことも勉強させられました。その中で、演出家の仕事も含めて色々なことを自分で勉強しました。アメリカにいる時は演出家になろうとは全然思っていなかったのですが、その後日本に戻ってきたあと、素晴らしい演出家の舞台にいくつか出演して、それで演出家になろうと思いました。
始めた頃はもう全てを自分の世界にしたくて。音が始まる前から、音が始まり、音が終わったあとも、そこの舞台を全部作りたくてやってました。出演者から「うるさいわね」とか色々言われても、当時の僕はある意味喧嘩腰でやっていたのですが、最近ちょっと歳をとったのか、だんだんそういうことを言っていた人の気持ちが分かるようになりましたね。ここは静かに聴かせたほうがいいなとか、ここは想像を掻き立てるようにしておいたほうがむしろいいなとか、ということもだんだん見えてきました。
僕の中にある本質的なところは「視覚化」するということです。先ほども言いましたが、作曲家は、物語がどう展開されるかと想像力を働かせてやってきていたわけで、僕は音から見えてくれるものをちゃんと視覚化することに取り組んでいます。
オペラは今も作られているものでもありますが、さっきおっしゃられたモーツァルトにしてもワーグナーにしても18世紀や19世紀の人たちで、その頃オペラは最先端の芸術だったわけです。ご存知のように1900年になる頃にリュミエール兄弟(注1)が出てきて映画を発明し、映像が普及しました。イギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムズや、ロシアのプロコフィエフなど、映画音楽をたくさん書いている人もいますが、オペラの作曲家の中でもプッチーニの作品などは、かなり映像的な作品だと思います。
このように、文化が発展していく中では、人間の作るもの同士が互いにどんどん影響されていった歴史があります。映画が発明される前、絵画の分野であれば、印象派の絵画は明らかにその前にあるバロック派や古典派とは全然違う手法で光というものを取り入れているし、動いている水をどうやってそこで再現するかということに取り組んでいました。音楽の世界でも、例えばドビュッシーとかは明らかにそういう絵画の影響を受けて印象派の音楽を書いていますよね。プッチーニはそのドビュッシーたちの影響も受けています。
オペラは基本的に、その時その時の同時代の人たちのために書かれていて、100年後の人の事は考えられていないと思います。初演してウケればよくて、それが1世紀も2世紀もあとまでずっと聴かれるなんて誰も思っていないわけじゃないですか。
モーツァルトが生きた時代には、電気もなければ、車も走っていませんでした。そういう世界観の中で書かれたものを、現代の僕たちが上演するとして、初演時と同じアプローチを試みるのも、僕はもちろんいいことだと思います。ただ、僕たちは全然違う世の中で生きています。ですから、仮にモーツァルトが僕たちの時代にいたら、彼は「ドン・ジョヴァンニ」(注2)の物語をどういう風に伝えようとしてああいう音楽を書いたのかということを伝えなければなりません。
例えば「ドン・ジョヴァンニ」では冒頭、主人公が夜の闇の中で騎士団長を殺す場面がありますが、現代では夜でもコンビニの明るい電気がついていて、なかなか漆黒の闇というものがありません。ですから、暗闇の中にランタンの光だけがあって、それと結びついている「人間の死」のイメージみたいなものはなかなか伝わりにくいと思います。
モーツァルトが生きた当時は平均寿命も今よりずっと短くて、病気に罹ったら死んでしまう確率もものすごく高かった。時にはペストやコレラが流行ってたくさん人が死んでいました。そういう中にいる人間の死に対しての考え方は、今とは全く違うんじゃないかと思うんですよね。だから演出家は、この時代はこういう死生観があったのだと観客に伝えるために何らかの工夫をするのも必要じゃないかと思います。
(3ページ目に続く)
(注1) リュミエール兄弟 兄オーギュスト(1862~1954)、弟ルイ(1864~1948)。フランスの映画発明者で、「映画の父」と呼ばれている。
(注2) 「ドン・ジョバンニ」モーツアルトのオペラ。第一幕第一場で、主人公ドン・ジョバンニは、真夜中に女性の屋敷に忍び込むが、それを女性の父である騎士団長に見咎められ決闘になり、ついには彼を殺害する。オペラ終幕では、騎士団長の石像が動きだし、改悛しないドン・ジョバンニを地獄へ引きずり落とす。