映画「イージー・ライダー」鑑賞レポート

イージー☆ライダー(午前十時の映画祭11)

札幌シネマフロンティア
映画

2021 06/11

2021 06/24

UP:2021/06/22

ある時代の雰囲気や風景のみならず、精神までもを見事に描き出して、その時代を代表する作品となる映画がある。そうした意味で、60年代を代表する映画の一つが「イージー・ライダー」だということに、異を唱えるものは少ないだろう。しかし、そうした作品は、あまりにも時代を背負いすぎていると考えることもできる。制作から約半世紀経った今、「イージー・ライダー」を観る意味は何だろう。自分がまだ生まれていない時代を擬似的に回顧することか、又は、映し出される文化をファッションとして参照することか。

過去の名作を集めた「午前十時の映画祭」という企画の一環として上映された「イージー・ライダー」は、「名作を回顧する」などというのんびりした鑑賞を拒むような、強烈な衝撃を私に与えた。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが、ハーレー・ダビッドソンで駆け抜けたと同じ世界を、「まだ」、現在私達は生きている。そんな思いに打ちのめされた。

バイクで風を切り疾走する二人の姿とは対照的に、映画が映し出すアメリカの社会はむしろ沈鬱で殺伐としている。そして、何より不寛容と暴力に満ちている。今、この映画を観るものが感じるのは、ある種の既視感ではないだろうか。分断、格差、不寛容、そして、文明の終焉という予感。アメリカのみならず世界中に溢れるそんなニュースは、むしろ現代の我々には、お馴染みのものだ。キャプテン・アメリカとビリーが自由を目指して、そこから遠く離れようと必死にバイクを駆った世界は、まだ続いている。

自由の価値が、今大きく揺らいでいる。環境問題、経済問題、紛争や差別、そしてコロナなど、様々に生起する問題を前に、自由など二の次、というのも分からなくはない。しかし、不安から逃れるために、それを簡単に手放して良いものなのだろうか。むしろ、例えば不寛容や差別への処方箋は、自由の尊重にこそあるのではないだろうか。「自由からの逃走」ではなく、「自由への逃走」について考えることも必要ではないのか。それはまさに、「イージー・ライダー」が問いかけてくるものだ。どうやら二人は、50年を経ても走り続けているらしい。

鑑賞データ
日時:2021年6月14日
場所:札幌シネマ・フロンティア
「午前十時の映画祭」にて

朝日泰輔

レポート

朝日泰輔