戦後75年記憶を紡ぐ

札幌座公演「フレップの花、咲く頃に」

北海道立道民活動センターかでる2.7
演劇

2020 08/15

2020 08/22

UP:2020/08/27

ずっと以前に叔母から聞いた話です。
昭和19年から20年にかけて、当時叔母は基幹産業といわれた国鉄・篠ノ井駅に勤務していました。戦争中は一般人には物資の統制があり、なかなか切符を手に入れることは困難な時代だったと聞いています。

鉄道病院のある看護師さんが食糧調達のために列車を利用していたのですが、その様子を叔母が見かねて幾度か便宜を図っているうちに、仲の良い友人になったとのことでした。その方は母子家庭で苦労されており、叔母も何とか力になってあげたいと協力していたようです。

しかし、広島に大変な爆弾が落ちたとの知らせを受け、その看護師さんは急きょ現地入りすることになり、叔母を訪ねてきて広島行きを伝え、これまでのお礼と万が一の時の形見にと、お母さんの指輪を渡そうとしたのですが、叔母はそのような大切な品は受け取れないと丁重に断ったそうです。
出発し、しばらくして帰郷を果たしたものの、その方は被曝して亡くなりました。
まだ原爆の正体も恐ろしさもわからないときの悲劇でした。

その後、お母さんが駅にいる叔母を訪ねて見え、いろいろお世話になったとお礼を言って帰えられた後ろ姿が、とても寂しそうだったのを叔母はよく覚えていたそうです。ひとり残されたお母さんとその友人の死については悲しい思い出として決して忘れることはできないと、涙ながらに話してくれたのを覚えています。

毎年8月6日8時15分になると、必ず叔母は静かにこうべを垂れ、手を合わせていました。その姿を見るたびに、叔母のなかではまだ戦争は終わっていないのだと感じ、経験のない私にも叔母の悲しみは伝わるような気がしていました。

今年も又、75年目の夏が過ぎ去ろうとしています。
「戦争」「平和」「家族」などをもう一度素朴に考える機会となった札幌座「フレップの花、咲く頃に」は、敗戦直後の樺太に残留を余儀なくされた人たちの「混住」の物語として、静かに力強く、役者の繊細な演技が光る良質の舞台を見せてくれました。

Kazuko Tanaka

レポート

Kazuko Tanaka