二期会オペラ モーツァルト「魔笛」

2021グランドオペラフェスティバル in Japan モーツァルト『魔笛』

札幌文化芸術劇場 hitaru
オペラ

2021 11/06

UP:2021/11/29

アートコミュニケーターの活動の一環として、以前、オペラ演出家の方にインタビューしたことがある。その際、映画や舞台の演出家とオペラの演出家の一番の違いはなんですかとお尋ねしたところ、その方が即座に「楽譜を読むことです」と回答されたのが、とても印象に残った。音楽に沿った演出がオペラには求められるということだ。その言葉を思い出しながら今回の舞台を鑑賞して、果たしてこの演出家は楽譜を読んでいるのかと疑問に思った。

音楽の軽視というかデリカシーの無さは、序曲から顕著だった。単独でコンサートの曲目にもなるモーツァルトの傑作であり人気曲だが、この曲が演奏される間、舞台では家族のドタバタ劇が繰り広げられる。無言劇ではあるものの、とにかくその動きがうるさく、まったく曲に集中できない。そして、このドタバタのあと、主人公がゲームの世界に飛び込むという設定なのだが、曲が終わる前に、テレビゲームの世界に入ったことを表すガラスの割れるような音が音楽に被さるのには、心底呆れた。以降も、ゲームの世界を表現するためだろう、電子音や効果音がいたるところで曲に被さって流される。この演出家にとって、モーツァルトの音楽より自分の演出のほうが重要なのだろう。

今回の演出は、仕事でストレスを抱えた父親がその家族と揉めるが、ロールプレイング・ゲーム(RPG)の世界(これがオペラ「魔笛」の世界になっている)に飛び込み、そこで困難を克服することで、家族の絆を取り戻すという設定になっている。その発想自体は、いかにも現代の日本社会と文化を反映しているようで面白いと思う。しかし、演出家はこのアイディアに酔いすぎて、楽譜を忘れてしまったのではないか。更に言うと、折角の発想だが、単に大枠の設定にとどまったのと、舞台がゲーム風のビジュアルになっただけという印象しか残らなかった。肝心の「困難の克服」と「RPGのクリア」ということの結びつきは、今ひとつ盛り上がりに欠けていたと思う。例えば、主人公と恋人が試練を乗り越え結ばれたあと、ゲームの世界であるはずなのに、何故か普通のパーティーのような服装の人々がそれを祝福する。ゲームという設定ならば、せめてビジュアル面だけでも、もう一捻りあって然るべきではないだろうか。何か演出が一貫していないような気がしてならなかった。

このように、モーツァルトが書いた傑作に集中することができない舞台ではあったが、それでも随所に素晴らしい音楽が聴けたことは救いだった。特に、パミーナを歌ったソプラノの盛田麻央さんは、役にふさわしい純粋そのものという美声で、恋人に会えない悲しみと、出会えたときの喜びを美しく歌い上げて感動的だった。色々書いたが、これを聴けただけでも行った価値は充分あったと言える。

近年流行りのオペラの「読み替え演出」自体を否定するつもりは毛頭ない。むしろそれは、オペラが現代に生きている作品であることの証の一つだとさえ思っている。しかし、オペラなのだということを忘れたような演出には、音楽を愛好するものとして、異議を唱えたい。

鑑賞データ
日時:2021年11月6日
場所:札幌文化芸術劇場hitaru
作品:モーツァルト「魔笛」

朝日泰輔

レポート

朝日泰輔