『ことばのいばしょ』 鑑賞レポート

ことばのいばしょ

札幌文化芸術交流センター SCARTS(札幌市民交流プラザ1-2階)
アート

2020 08/22

2020 09/22

UP:2020/12/15

私たちのコミュニケーションに「ことば」は大きな役割を担っている。しかし、記号としての「ことば」から紡ぎだされる意味は、発信者の思いや受け手のフイルターを通して実に多様な色を放つ。「ことばのいばしょ」展は、詩や短歌などの「ことば」が、作家によって意味を持ち、色を纏い、「いばしょ」を見つけて、版画や映像作品の中でそれぞれ息づいている。

その中でも、埋もれそうな「ことば」に光を当てた作品を取り上げてみたい。

小森はるか、瀬尾夏美は、東北の震災から現在のコロナ禍まで被災地の人々に寄り添い、耳を傾けてきた作家である。彼女達から聞いた「当事者のヒエラルキー」という言葉が印象深い。新たな災害が起きるたびに、その前の災害は世間の記憶から遠ざかり、作り上げられたストーリーや被害の大小といった数字の影で沈黙してしまう人は少なくない。小森と瀬尾の作品は、まさにそこに埋もれてきた「言葉にできない言葉」、「言葉にならない思い」に、耳を澄まし、丁寧に拾い集め、当時の記憶を語る若者の映像や、コロナ禍での心情を代弁する祈りの言葉を添えた天使の絵を通して、いまだ彷徨う「ことば」や「こころ」を繋ぎとめようとしているようであった。

折笠良の「水準原点」は、シベリア抑留から帰還した石原吉郎の同名の詩をモチーフにした映像作品である。大きなスクリーンには、遥か彼方に連なる山並みの手前に、延々と波が打ち寄せる大海が映し出される。よく見ると灰色の波は、そこに呑まれれば二度と浮かび上がらないような粘度と窒息するような重さを感じさせる。その波に浮かび上がる文字は、すぐに沈むように消えていく。まるで必死に何かを伝えようと苦しく喘ぐ言葉が、かき消されていくようだ。作家は、クレイを自らの指で造形し、1コマ1コマ撮影してこの作品を作り上げたというのだが、ここに掛けられた膨大な時間と根気強い作業には、強い念のようなものを感じてしまう。

ふと、去年観た演劇NODA・MAP『Q』を思い出した。シベリアでの強制労働のシーンが繰り返されるのだが、過酷な日々の中で愛する相手へ必死に綴られる「言葉」=「手紙」は決して届かない。次第に命が侵食され、「もう愛してはいない」という最期の言葉さえ、願う相手には届けられなかったのである。

運命の波にのまれながら必死にもがき、力尽きていく命のかけらを目撃しているような感覚に陥った。

Hira

レポート

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