「スパイの妻」鑑賞レポート

スパイの妻

映画
その他

2020 10/16

UP:2021/01/16

「スパイの妻」の作中には、いくつかの映画が登場する。それらはいずれも物語において重要な意味を持っている。例えば、夫が趣味で撮った、妻を主役にした劇映画は、本作そのもののストーリーを暗示しているし、また、国家機密が写されたフィルムは、夫婦をスパイという使命に駆り立ててゆく。

人は現実にスパイになるとき、案外自分が映画の主人公であるかのように錯覚するのかもしれない。または、昔観た映画の影響で、そうした危険を冒するのかもしれない。映画と現実との関わりは、思いのほか深い。この映画はスパイ映画であり、妻の愛を描いた映画であるという表のストーリーの裏に、暗号のようにそのことを仄めかす。その暗号を解読した後には、現実における人の振る舞いは、結局は映画の引用なのだとさえ言いたくなる。

解説によると、この映画は本来TVドラマとして制作されたとのこと。そうした作品の中で、映画をこれほど取り上げたところに、黒沢監督をはじめとするスタッフの映画人として矜持、そして映画への愛を感じた。もちろん、スパイ・サスペンスとしての出来もお見事で、見ごたえのある作品であるのは言うまでもない。

最後に、作中で取り上げられた、ある映画について触れておきたい。夫婦が映画館で鑑賞する「河内山宗俊」である。これは歌舞伎でもお馴染みの出し物だが、普段はゆすりたかりをしている御数寄屋坊主の河内山が、悪い大名を遣り込めるというお話。スパイという「悪」が世を正そうとする、この映画のストーリーそのものを暗示しているようだ。また、この作品の監督は、わずか28歳で戦死した山中貞雄。出征するまでに数多くの作品を発表したものの、現在完全な形で残っているのは、この「河内山宗俊」を含めて三本のみ。ひょっとすると、黒沢監督は、自分がつくりだしたスパイの活躍で戦争が終わり、山中貞雄が戦後に撮った映画がある世界を夢見たのかもしれない。

鑑賞データ
日時:2021年1月9日
場所:シアターキノ

朝日泰輔

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